カカオ70%

★ 「自分が」どうするのか、どうしたいのかを整理します。

相談できる?

想像するに

 

ブログを書いている人は

私自身そうなのだが

リアルで関わっている他人に
自分自身の悩みを

明かす人は少ないのではないだろうか。

 

実は、1週間ほど前にある人から
「私には、相談できなかったってことね」と言われた。

ストレートな物言いに戸惑いながら
「私は、あなたに相談しないのではなく誰にも相談しない」と返した。

相手は驚き、2人は暫く沈黙した。

 

私は、なぜこの人に相談できなかったのか。

 

重くて複雑な内容を話せる相手ではなかった。

 

過去1度だけ。

相談ではないが

大切なことを話したことがある。

話すまで10年かかったやっと話せた1年後

話さなければ良かった。という後悔は今でも忘れることができない。

自分の甘さに呆れたほどだった。

 

だからと言って

自分が相談される人間として相応しいなんて

思ったことはない。

唯一の心がけとして

「とにかく相手の話を聞く」環境を整えることしかできない。

 

確かに、若い頃は「悩んじゃって」と軽く言えたが

その時代の自分の悩みなんて

笑っちゃうほど大したとはない。

 

歳を重ねて

悩みの質が変化して、重荷も背負って

自分自身の頭も心もグシャグシャになっている時

人に悩みを伝えることはとっても難しい。

受け止める方も同じ。

 

だから、私はブログに書く。

書いたからって

解決するわけではない。という現実と折り合いを付ける。

自分と気が済むまで会話し続けて

たった1つでも気づきがあれば、それでいいと思っている。

 

自分の言葉を最初に聞くのは自分。

100%。うんうん。と聞くのは自分。

 

f:id:lenkooon:20160530113526j:plain

広告を非表示にする

自分が納得できなかったら、捨てる記事

前回、UPしたブログ。結局削除した。

*スターを下さった方ありがとう。

 

UPした記事を

なるべく削除はしたくないが

 

別に

感情的な表現が混じっていてもいい。

過去記事の仲間として存在しても大丈夫な記事ならば。

 

だけど、前回の記事は一覧に載せたくはなかった。

「整理したふう」の見掛け倒しの記事は

日が経てば経つほど

自分の心をモヤモヤさせる。

 

ブログは、思ったことや気づいたことを

忘れないように書き残しておきたいと書いている。

 

ポジティブな記事を書こうと意識はしていない。

とにかく、納得してUPするということだ。

 

それができないのなら

失敗記事。あっさり捨てよう。

 

これからも。

 

f:id:lenkooon:20160528131235j:plain

 

年齢のせいにしたいぐらいのこと。

どうやら書けるモードになっているみたいだ。

午前中は、久々にゆっくりだから
チャンスだと思うこととして。

勢いが大事。うん。

 

これから書くことは
私の場合は。と前置きしておく。

 

心身が疲労困憊している時
悩みや不安が頭の中で何度もグルグル回っている時
モチベーションがドーンと下がっている時

 

10年以上前までの私は

ポジティブになる方法ばかり探っていた。

 

関連書籍を読む。
元気な人の話を聞く。会う。
明るい曲を大量に聴く。

 

とにかく前へ前へ。だ。

 

PCのハードディスクを整理していて
過去に書いたブログのバックアップを読み返してみたことがある。

内容は

その時代の自分にカウンセラーを受けたいほどのポジティブさで
暑苦しいぐらいだった。

 

そもそも
悩みは年齢によって変化していくものだと思う。

 

中には、「いや。変わらないよ」と言う人もいるし
現に存在している人も知ってるけど

 

たいていは
自分の年齢が上がれば、当然周りも上るわけで。
悩みの質が違ってくるのかな。と。

そう。。深くなる。

 

以前のように「前へ!」「ポジティブ!」では
コントロールできなくなっている。

メディアで取り上げられる人から発信される

「頑張ってます!」オーラは

 

正直、疲れる。

 

ピっとチャンネルを替える。
ネットでも元気満載のモノは読めない。

 

そういう人を否定しているわけじゃなくて

 

その蛍光色が眩しすぎて目がチカチカして痛いのよ。

 

過去、好んで選んでいたものを

今は選ばない。

これは、さっき書いた深さもそうなんだけど

年齢もあるのではないかと。

 

悩みや不安があるだけでも人は疲労するのに

あえて、自ら疲労させるものを

見たり聞いたりしなくてもいいよね。ということ。

 

ホッとする空気を見逃さないように。

触れている時間だけは忘れている気がするとか。

 

穏やかに、自然に身体や心に入るものがいい。

何でも。

 

f:id:lenkooon:20160513113803j:plain

 

 

 

負の「でも」が芽生えた時は

これでいいんじゃないかな?

 

あれこれ考えずに
軽い気持ちで選ぼうとしたものが

日々のドタバタで後回しになる。

 

そして

 

少し落ち着いて、改めてヨイッショと腰を上げる。

具体的に着手し始めてみたら

 

あれ?思っていたものを違う。と知る。

 

候補から消される。

 

このパターンこれまでも何度もあった。

 

自己分析してみる。

 

1つ気づく。

 

選んだ後に、何度か「でも」という言葉が浮かんでいたことを。

その「でも」は、プラスではなくて

マイナスの方だった。

モヤっとした生温かい風が肌に感覚として残っていた。

 

どうして、そんな風に感じたのだろうか。

 

考えてみる。

 

それほど興味もなく、やってみたい。という好奇心もなかった。

ただただ

外側から見て気楽そうに見えた。
オプションとして捉えているのだから
いいんだよ。それで。

と、自分に言い聞かせていたような気がする。

 

自分の心は誤魔化せない。

本音を見透かされてしまうのだ。

 

きっと。

f:id:lenkooon:20160513101014j:plain

 

わざわざ面倒なことをするのなら

自分のことを話をする。

いつでも
明瞭快活にハッキリと伝えることができたら
これほど楽なことはない。

 

例えば現在の私について

このブログで書くとしたら

 

全体的には曇りが続いているが
部分的にはところどころ晴れ間が見える。

こんな感じか。

 

このようなフワッとした表現を

 

対面した相手に

しかも
想像力の値が極めて低い相手だったら

無駄な時間をタップリと費やすことになる。

 

そんな面倒なことをするぐらいなら
適当に作り話でもした方がマシだ。

 

だから

私は
わざわざ
「伝えない」「話さない」の方を選択する。

 

その選択によって
相手が誤解をしても構わない。

 

私が面倒なことをわざわざする時とは

自分が納得している時
する意味がある時
義務が生じる時

 

この中の1つも当てはまらなかったら

やらない。

 

f:id:lenkooon:20160512174920j:plain

親しき中にも敬語あり

相手との関係が

真の心の友と呼び合う関係ではなく

長く付き合っているという理由だけで
「友だちだから」「知り合いだから」と
慣れ合うことは、思い込みや勘違いに繋がると思っている。

 

私は過去

 

そんな慣れ合いによって失敗している。

 

その人との出会いは仕事だった。
同年でシングル。という共通点だけではなく
話すだけで刺激を貰える存在だった。

 

彼女が長く在籍した会社にスパッと見切りつけて
高待遇で別の会社に入った時

大病した時。
独立した時。

それぞれの場面でパワフルな姿を見せてくれていた。

 

独立してから直ぐに
「あなたの空いた時間にやってくれればいいから。手伝ってほしい仕事がある。」

と、声をかけてくれた時は正直とても嬉しかった。

ワクワクした。

 

だが、そのワクワク感は1ヶ月で嘘のように消えた。

 

彼女は精神的に私よりもずっと大人だと思っていたが勘違いだった。

ドタバタして落ち着きがなく
洪水のように浴びせかけてくる早口な言葉は
どれもこれも一方的。

私も、カチンと来ると早口で言い返して

嫌な気分で仕事を続けなければならなかった。

 

終わりの頃には

もう自分からは一切連絡は取らないと
心に決めたほどだった。

 

そんなわけで暫くは
彼女からのお知らせメールを一切無視して
会わなかった期間が数年。

 

それでも、縁が切れなかったのは
最低限の年に2回の季節のご挨拶のはがきをやり取りと
身内が大病した時に

誰よりも的確な言葉で返してくれたことだった。

 

去年久々に
仕事抜きでランチをしながら楽しく会話ができた。

同時に

自分のこれまでの相手との接し方を見直した。

 

私はこの人と接しするときに
「友だち」「長い付き合い」というキーワードに捉われていて

勝手にイメージを抱き期待してしまったのだ。

相手にしてみれば迷惑な話だ。

 

思い返せば

彼女は私のことを「友だち」と呼ぶが
仕事以外でもメールや電話では敬語で話していた。

私がフランクな話し方をする一方で

24時間仕事から離れられない生活をしている彼女は
友だちと仕事仲間という区別はなかったということも

ピンと来ていなかった。

 

相手が、というよりも

自分が甘かったとしか言いようがない。

 

近々、2週間ほどの

彼女からの仕事を受けることになっている。

 

押しが強いところやドタバタした空気を持ちこむところは
独立して10年たった今でも

全く変わっていないことも心に留め

 

学習したことを実践中だ。

私も同じようにメールや電話で敬語で話す。

 

親しき中にも礼儀ありという言葉があるが

この場合は

 

親しき中にも敬語あり。

 

考えてみれば

敬語=固い。敬語=冷たい。と決めつけるのもおかしい。

 

敬語で話すことで、自然に線が引かれ
感情が前に出ないように抑える効力あるようだ。

 

このタイミングで 

ここに書き残しておこう。

 

 

f:id:lenkooon:20160319125911j:plain

 

 

 

広告を非表示にする

1本の柱だけ見る違和感

 国内の社会問題は様々あるが

メディア上で誰かが発言する「考えるべき」という声と

取り上げられる回数が多いと

”その”社会問題は”その他”よりも目立ち

政治に刺激を与える。

何もしなければ

そのまま素通りされてしまうかもしれない事が

あるキッカケで、拡散されて大きな話題となり

動かしたい。という意志は形へと変化して

1つ前進。。。となるのだろう。

 

が、

 

どうも違和感をぬぐえないんだな。


目立つ部分だけ解決すればOKなのか?

 

元に関わっている人達の心労や闇を

抱える人の声は届いているのか?

今に始まったことでもないが

1つの問題に対して 

有名人や著名人が共感し

発した言葉は「良いこと」として処理され

「違う気がする」と言った人間は

意見の相違として扱われず否定した人になってしまうのが

薄気味悪い。

 

それに

複数の柱が組み合わさって成り立っているモノに対して

目立った柱を1本だけ取り上げて補修したって

周りが腐ってしまったら倒れてしまうのではないか。

 

せっかく、目立ったのだから便乗するなら

 

一緒に他の柱も見ないと。

 

主体的に。

 

f:id:lenkooon:20160311120904j:plain

広告を非表示にする
一眼レフカメラ