カカオ70%

★ 「自分が」どうするのか、どうしたいのかを整理します。

残り何ヶ月。目の前にあることだけ。

10月に入った。

毎年、この時期になると

「残り何ヶ月」とカウントしてしまうのだが

今年は少し感じが違うような気がする。

やっぱり仕事が大きく変わった。ということが影響しているのだと思う。

 

それだけ

今の仕事で起こる色々な物事の密度が濃いということ。

止まっている暇がない。常に瞬時に機転を利かせなければいけない。

 

ある意味、考えすぎる自分にとっては良いのではないか。

と、最近思うようになっている。

 

多少のストレスがあっても。

 

残り何ヶ月。

ただただ焦るだけでの毎日よりも

とにかく。明日のことだけを考える。

目の前にあることだけに集中して頑張る。

 

今は。

 

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7か月ぶりの更新

久しぶりに、ここを思い出して開けた。

広告が目に飛び込んできて、あーそういうことか。

長い間更新していないと、トップに広告表示されてしまうんだね。

 

じゃあ。少しは何か残しておきますかね。

 

とにかく色々ありまして。

1つ1つ思い出して、振り返る余裕はないなぁ。

ということで、近いところで1つ。

 

仕事が変わったのです。

ずっとモクモクとやっていた仕事から

思いっきり人と付き合っていかなくちゃいけない仕事をやってる。

 

大げさに言えば「挑戦」。

簡単に言えば「成り行きでやってみよう」。

こんな感じ。

経験は生かせるのにこれまでの自分を考えれば、選ばなかったカタチ。

 

前々から興味を持っていたし、やってみたいな。とも思っていた。

けど、探していたわけでもなく。

 

ポッと。そこにあったから。

 

やってみたら、やってみたで。

シンドイ事と少し面白いって感じることがミックスされてやってくる。

 

だから。わからないのよ。

選んでみたけれど、どーなんだろう。って。

 

不安定な感じもあるしね。

 

この程度のことしか書けなかったけれど

とりあえず

更新してみました。

 

 

 

 

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リハビリ中 「通用しない言葉」

自分の使っている言葉が、
誰にでも伝わるわけではない。 

 

リハビリ担当者を替えてもらうことになった。

 

brownie.hatenablog.com

 

前回の記事で書いた

担当の女性が「苦手なタイプ」というのは

ヤンワリした言葉を残しただけで

本心は

「嫌いなタイプ」であった。

 

これまで見たところ

その人の担当している患者さん達は
総体的に年齢層が高く

まるで馴染みのご近所さんのような関係で

会話もタメ口でフランクに話している。


だから

彼女がトレーニング中に発する

度々の失礼な物言いに引っかかることもないのかもしれない。


ただ。

この担当者。

見た目の年齢なので定かではないが

50代の半ばぐらいだろうか。

おそらく

その道のベテランで
数々の患者さんを見ているに違いないと
思われる人が
患者のタイプを見極めもせず
同じ言葉のチョイスをしてくる。


トレーニングがキツイのは我慢できる。
自分の足を治すために、ひたすら頑張るのみ。


しかし

ここ3回。

雑で粗い言葉のチョイスと

私が質問すると、ニヤケながら適当な返答をする。

これらの振る舞いにムカついた感情を抑えてきた。


向こうもまさか
私が気分の悪い思いをしているとは
想像していないだろう。

 

身体の疲れ以外に

終わった後の気分が悪さを
これからも味わうことになるのか。と

思うだけで憂鬱になった。


まだ先があるのに。

 

この人の指導で続けられるのか?

 

自分の答えは決まっていた。


なら、伝えないと。

 

相手の対応によっては病院を変わることも

考えていた。

 

冷静に淡々と
伝えるべきことを伝えた後


電話口に出た人の口から

何度も、不快な思いをさせて大変申し訳ない。


謝罪を受けた。

 

そして
もし宜しければ、私が担当させて頂きますが。とのこと 

というわけで
次回から別の人が担当することになった。

 

さ、気分を変えて仕切り直そう。

リハビリ中は、身体を動かすことだけに集中したい。

 

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リハビリ中 「試練を乗り越える」の続き

2回目が終わったばかり。

 

「リハビリを頑張る」と誰もが口にするのは
こーいうことなのね。
と、実感するほどにハードだった。

 

次の日、全身の筋肉痛でイタタタタ。。

なぜか歩くときは筋肉痛がさほど気にならない。

 

むしろ、骨折した足が軽くなったような気さえする。

なるほど。これがリハビリの効果なんだ。

少し納得。

 

骨折した箇所はリハビリ担当者に何も指示されてないし
自己流でアレコレやるのは止めておいて
腿の筋力と腹筋をつけるぐらいなら、自分でもできるね。

もちろん、頑張り過ぎない程度に。

 

リハビリ中、身体がキツイのは仕方がないとして。

実は
担当者の女性が、苦手なタイプなんだな。

会話が噛み合わない。というのか。

こういう職業の人ってシャキシャキとした物言いをする
イメージを持っていただけに

 

彼女の
どことなく醸し出される暗さと声の小ささに
やりずらいなー。という感じになっている。

 

ただ

真面目にキチンとやってもらってるのは確か。

 

ギブスを外してから外出すると
階段やしゃがむのは、まだ恐る恐るながらも
松葉杖なしで2足歩行して電車に乗れば感謝もしつつの日々の中

色々感じて
同時に見えなかったものも、見えることもある。

 

そんな風な話をね
コミュニケーションの素材の一つとして

 

サラっと担当者に話したら

 

相手から「まぁ。。乗り越えられない試練はないですから」と返ってきた。

 

どうやら、私が歩行の不自由さに
毎日鬱々していると感じたらしく

いやいや。そういう意味ではなく。と、心の中で呟いた。
まあ、一応励ましてるつもりなんだろう。

「はぁ・・」と応えて黙った。

 

「乗り越えられない試練はない」

ずいぶん前から、この言葉は良く耳にするようになった。

おそらく

 

「 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
  神は真実な方ですから、あなたがたを
  耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。」

聖書のコリント人への手紙 第一」の第10章第13節からの

一節だと、意識せずに伝えられている言葉。

 

私としては

この「乗り越えられない試練」よりも続き。

 

結びの言葉。

 

「むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

 

乗り越えられない試練はない。ガンバレ!ガンバレ!

 

ではなく

 

試練が苦しくて頑張れない時には

 

必ずそこから逃られる道は与えられるよ。

 

この方が、ストンと気持ちに入る。


リハビリ初体験で
勝手がわからず戸惑うこともあるけれど

一番大事なことは頑張ってメニューをこなすことだよね。

自分の足の復活が第一優先なんだから。

次回からは、淡々とやろう。

 

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辛抱の時期

ご無沙汰しております。

訳あってスマホから。

心労が溜まっていて

ボーッとしてたんだと思う。

8月の末に

自宅で

グキっ!と右足をやってしまった。

角度によって痛むぐらいで歩けたけれど

腫れが治ってないし

今まで聞いた事がない音したし。

一応行っておこうか。と次の日に

総合病院の整形外科へ。

剥離骨折。

それも、手術か。なんてワードを

聞いたもんだから

ボー然としてしまい。。

捻挫かと思っていただけに

ショック。

1週間後

結局、手術はしなくても良い。と。

他に悪いところかないから。って。

骨がくっつくのは、3.4週間ぐらい。

初ギブスと松葉杖で

数日気分が不安定に。

その様子を見て

先生がギブスにカカトを付けて

松葉杖が少し楽になった。

この間のレントゲンでは

骨かキレイになってきてる。

順調なので

次回はギブスを取りましょうか。

との診察を受け

少し気分が上がって

調子にのって

慣れない松葉杖でウロウロしすぎた。

手が腱鞘炎に。

長い間、パソコンを使って一度も

なったことがない腱鞘炎。

まさか、松葉杖でなるとは。

酷くならないうちに

サポーターして、手をケア。

というわけで、

書きたいことはあるけれど

身体がシャキッとしてから

改めて。

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ちょうど良い闇が好き

「ちょっと不健康」という状態、
実は、みんな好きなんです。
「どこか少し具合が悪い」くらいが、
ちょうどいい心地という感じ。
人間とはおかしなもので、順風満帆で挫折のない
幸せな人生には共感を覚えないし、逆に、
不幸のどん底の人を目の当たりにすると、
少し引いてしまうもの。

「ちょっと不健康」とか
「なんとなく不幸」みたいな、
「よい加減」の方といちばん楽につきあえるのが、人の常。
今の世の中、周囲と衝突せずに楽に生きていくためには、
少し調子が悪いくらいがちょうどいいもの。
そうでないと人間関係が保てません。

 

私が情がわく。

 

という感情が芽生える時の相手のタイプは

 

何かしら抱えている闇が見える人。

 

ただ

言葉を失うほど真っ暗なわけではない。

 

時にはポジティブに転換できるほどの

良い加減の闇。 

 

その闇があることで

料理に加える調味料のように

人としての味や深みになっているように思う。

 

語弊があるかもしれないが

「闇」が有るのと無いのでは

相手に対する興味や思いにも関わってくる。

 

ブログでも

「良い加減の闇」が見える人の記事は読みやすい。

ただただ文章の羅列を目で追っているのではなく

感情を乗せて読める記事に出会うと嬉しい。

 

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自分だけ合わない。ってこともある。

最近、こんな話を聞いた。

 

隣席で仕事をしている人が

ほんの数カ月前に入ったばかりだが

気さくな人柄で

周りとあっという間に打ち解けている。

 

自分も相手を「いい人」と思っていると。

 

なるほど。。で、何が問題?

 

色々と細かい話を聞いた後に

私が

「簡単に言うと、その人のことを

”イイ人だけど、合わない”ってことだよね?」と言うと

「そう思ってしまう自分が変じゃないかって」と返ってきた。

 

なぜ、自分を変だって思ってしまうのか。

 

合わない原因をおそらくその人自身はわかってる。

だけど

本音の部分を見ないようにしているのは

相手が周りからの好感度が高いために

自分だけが

その人を苦手と思うことが「大人としてどうなのか」と

正そうとしているからだ。と思った。

 

そもそも。

10人中9人に、好感を持たれている人が

自分だけが苦手。もしくは合わない。

と、感じることが特別なことなのだろうか。

 

人には

曖昧な感覚で「合わない」と

判別するセンサーを持っているものだと思う。

 

違う人間同士が同じ場所にいて

自分のセンサーが敏感に反応して

心の中で思ったからって気にすることでもない。

 

真面目にコツコツと仕事をしているのだし。

 

むしろ

「周りがこう思っているのに自分だけ」と悩む方が

不自由だし、身体に悪いのでは。

 

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